塩酸は混合物でない?

crop person with detergent in studio

塩酸(hydrochloric acid)は塩化水素(hydrogen chloride)と水の混合物(mixture)。これは、中学生でもおそらく知っている当たり前の事実そう習ったはずだ。しかし、欧州の化学品規制(REACH)上ではそう単純ではない。塩酸と塩化水素はいずれも物質(Substance)であって、混合物(Mixture)でなく、同じ物質(identityとして)とされる。

REACHでは、塩酸は、その定義に基づいて、REACH登録義務上、塩化水素と同じ物質である―同じidentityを持つとされる。結果、塩酸は、混合物でないので、塩酸をEUで製造輸入する者(塩化水素として 1 t/year を製造輸入する者)は、REACHの物質登録の義務が出てくる。Mixtureは登録の対象とならないのに。

そして、実際に、1 物質 1 登録原則によって、塩化水素の登録書は、塩酸の登録書でもある。hydorgen chlorideの登録書(register-dossier)を見てみよう:ここをクリックするとそのページを開くことができる

なお、disclamer の画面が出たら、それに合意する必要がある。自分で検索してそのページを見つけたいのなら、ECHA > Information on Chemicals > Registered substances のページで検索すればヒットしてくる(なお、この検索システムは2024年1月には改訂版がでる予定のようだ)。分かりやすさのために、画像として示したいところだが、どうも著作権上問題があるようだ。以下言葉で説明するが、Hydrogen chlorideの登録書のページをみて自分で確認してほしい。

Trade name

塩化水素(Hydrogen chloride)の登録書ページにある、Trade name のセクションには、Hydrogen chloride (anhydrous)、すなわち、塩化水素(ボンベで提供)があり、Hydrochloric acid 、すなわち、塩酸がある。Hydrogen chlorideの登録として、Hydrochloric acid (塩酸)が対象となっていることが分かる。

Compositions のセクションには、hydrogen chloride (gas) と、hydorchloric acidが、Boundary Composition(s)に挙げられている。前者は、State Formが、gas (気体)であり、後者は、liquid (液体)である。Legal Entity Composition(s)のセクションを見ても同様のことがわかる。つまり、塩酸は塩化水素と同じSubstanceとされており、一つの登録であり、その登録の対象となっているのは、塩化水素の製造輸入業者だけでなく、塩酸の製造輸入業者にもあるということだ。

この物質を登録した企業のコンソーシアム HYDROGEN CHLORIDE (HCl) – REACH CONSORTIUMが出しているSubstance profileの文書を見ればよりわかりやすいだろう。

The substance to be registered is hydrogen chloride (HCl) as a mono-constituent substance of min 80% (w/w) HCl excluding water (= solvent).

HCL REACH Consortium / Substance profile

”Additional information on substance composition” にも注目して、REACH登録書の composition/legal entity composition(s)のセクションと見比べてほしい。

塩酸と塩化水素を同じidentityとするロジックは、EUの化学品規制のフレームワーク REACH/CLPの基本であるSubstance と Mixutreの定義がどうなっているか見る必要がある。なお、Substance と Mixture の定義は、GHSでもほとんど同じことに留意したい。REACH/CLPは日本での化学品規制に直接関係がないが、GHSは日本法律にも適用されている。

ここではREACH条文とGHSからの抜粋を記載し、溶媒をどう考えるかがポイントであることを指摘しておき、解説は別ページ改めて実施したい。

substance: means a chemical element and its compounds in the natural state or obtained by any manufacturing process, including any additive necessary to preserve its stability and any impurity deriving from the process used, but excluding any solvent which may be separated without affecting the stability of the substance or changing its composition;

REACH legislation Chapter 2 Article 3 Definition 1.

Substance means chemical elements and their compounds in the natural state or obtained by any production process, including any additive necessary to preserve the stability of the product and any impurities deriving from the process used, but excluding any solvent which may be separated without affecting the stability of the substance or changing its composition;

GHS Rev 9 p.14

回りくどく言えば、REACH規則上、

塩化水素又は塩酸をEUに塩化水素として年間1t 以上製造、又は、塩化水素又は塩酸をEUで塩化水素として年間 1t以上輸入する者、又は、その製造及び輸入量の合算量が年間1 t以上の者は、塩化水素を登録物質として登録する義務がある。

REACHにおける塩酸:混合物でない

社会科学化学フレームワーク(化学物質規制のフレームワーク, SSChF)、 少なくともREACH/CLPのフレームワーク上は 塩酸は混合物でない。これは、自然科学化学フレームワーク(アカデミック化学フレームワーク, NSChF)、従来高校、大学と習った化学のフレームワークにおける説明と大きく異なる。

ここでは、化学フレームワークが違えば混合物の概念(idea)が違うことを説明するとともに、その重要性を述べる。その事例を通じて一般的にフレームワークを意識することを推奨したい。

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塩化水素は呼吸器感作性か?―3. 職業・環境アレルギー学会情報

要約

政府は現時点で塩化水素を、呼吸器感作性物質、すなわち、免疫機構により特異的に気道過敏反応を引き起こす物質としている。その根拠の一つは、政府の分類の指針に記載されていた日本職業・環境アレルギー学会に2004年に提出された職業性アレルギーの感作性化学物質リスト案文である(日本職業・環境アレルギー学会雑誌. 2004年. 12(1):95-97)。同学会は、2013年と2016年に「職業性アレルギー疾患診療ガイドライン」を刊行した。この書籍は非常に信頼性の高い記述となっている。そこからは塩化水素が外れている。政府の次の分類見直しにおいては、学会案文に代わってこれらの学会の公式ガイドラインを根拠に塩化水素の呼吸器感作性分類を当然外し、非免疫性気道刺激性の考慮として「特定標的臓器毒性(単回ばく露)」の記載の微修正が期待される。

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塩化水素は呼吸器感作性か?―2. 現在の呼吸器感作性分類根拠の問題点

塩化水素は呼吸器感作性ではない

要約

塩化水素は呼吸器感作性に分類できない。政府が2015年に実施したGHS分類で、呼吸器感作性に分類している根拠は、 1)日本職業・環境アレルギー学会の分類、2) ACGIHが文書に記載している塩化水素への暴露の症例である。しかし、1) 同学会は現時点では塩化水素を呼吸器感作性に分類していないし(日本職業・環境アレルギー学会監修 (2016) 職業性アレルギー疾患診療ガイドライン2016)、2) ACGIHもその暴露症例でもって(呼吸器)感作性に分類していない(ACGIH 2003 TLV® and BEI® based on the Documentation of the Threshold Limit Values for Chemical Subastances and Physical Agents & Biological Exposure Indices 2003 とそのHClに関するDocument, ACGIH 2000)。その暴露事例の原論文でもその症例を「非感作性」への分類を提案している(Boulet, L. P. (1988). Increases in airway responsiveness following acute exposure to respiratory irritants: reactive airway dysfunction syndrome or occupational asthma?. Chest, 94(3), 476-481.)。

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塩化水素(塩酸)は呼吸器感作性か? ―1.現状

国際的にGHS分類に差

日本政府によるGHS分類結果では、塩化水素を呼吸器感作性としている。経済産業省所管の製品評価技術基盤機構(NITE) GHSサイトや、厚生労働省 職場の安全サイトには2018年1月23日現在そのように記載している。これに対して、EUでは塩化水素を呼吸器感作性に分類していないことがECHA(EU化学品庁)のサイトで確認できる(2018/1/23現在)。国や地域によって塩化水素の性質が変わるわけではないから(危険性・有害性は物質固有の性質)、これは、塩化水素の呼吸器感作性の分類基準が国によって異なるということだ。

GHSは分類基準と方法に関する国際合意であるので、分類方法があいまいなのかもしれないし、解釈に違いあるいは問題があるのかもしれない(これについては近い将来議論する)。もっとも、GHS上、国際輸送危険物の分類結果とは異なりGHS分類結果そのものは、各国の案件であるので、結果が異なることはGHSに反することではない。

国内的に分類に差

日本では、試薬として塩化水素の水溶液である塩酸を販売している大手試薬メーカが、そして、一部の最大手化学会社でも、塩酸のSDS中で、GHS分類として呼吸器感作性としている。一方、塩酸の主要製造メーカーは、軒並み塩化水素及び塩酸を呼吸器感作性に分類していない―軒並みそうなのはソーダ業界として標準SDSを作成しているためだ。もっとも、日本のGHSの法的実装では、政府による分類結果に企業は従わなくてもよく、また、各企業の責任になっているので法的には全く問題ない (2018年1月23日現在)。しかし、それを見たユーザは混乱するおそれがある。

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