物質の定義と分類 -REACH/CLPの場合 1

2006年公布のEU REACH規制の物質の定義は 、一部の専門家からは日本の科学教育で習ってきたのと違うと驚きをもって迎え入れられた。REACH規則の分野で著名なある人物の著書(2008年)では、「『物質』と言う言葉は我々が中学生から習っている科学用語であるが、実は日本と海外では概念がかなり異なる」と言ってしまっている。しかし、実は、それは日欧の差ではなく、 化学品規制と一般化学というフレームワークの違いによるところが大きいことは別の記事「REACHにおける塩酸:混合物でない」で論じた。 また、一般化学における物質の概念についても「物質の分類 一般化学」で述べた。REACH/CLPフレームワークにおける混合物の概念については次の記事で述べる予定だ。

REACH規則の物質の定義は、実は、CLPのそれと全くの同文である。そして、その物質の定義は、REACH/CLPフレームワークの前身であるDSD/DPDフレームワークにおける定義と大差なく、そしてまた、GHSにおけるそれとも、そしてJIS SDSのそれともほとんどかわりない。

にもかかわらず、日本で、大きな驚きをもってREACHが迎えられた理由の一つとして、REACHをはじめとするEUの化学品規制があまりに適用範囲が広く、日本の基幹輸出産業である自動車業界、電気電子業界などへのインパクトが大きかったことが挙げられるだろう。

2001年10月ソニーが欧州に輸出しようとしたゲーム機PSOneの輸入をオランダ当局が同国のカドニウム含有に関する規制に抵触するとしてストップをかけた(https://www.sony.co.jp/SonyInfo/csr/news/2002/02.html)。これが与えたインパクトは非常に大きいものだった。

これが、日本の電子電機業界がEUの化学品規制に強い関心を持ち始めることになるきっかけだったろう。その後のRoHS規制、REACH規制と関与を強めてくる。官においても日本の基幹輸出産業への影響を懸念して、改正化審法を広く普及されるために複数の主要都市で開催された「化審法キャラバン」でもREACH等の欧州の化学物質規制を取り上げ、電子電機業界から講師を招いたりするようになった。しかし、いかんせん畑違いであることは免れようもなく、誤った認識が語られることがしばしばあり、その傾向はいまだにみられる。科学に造詣が深いものほど違和感をもってこの定義を語る傾向があるといってよい(最初に挙げた例がそう)。

物質の定義

物質の定義に戻ろう。

REACH規則の定義条項第3条の筆頭が物質の定義である。それだけ重要な概念と言うことだ。このフレームワーク内の文書における物質という言葉は特に断りのない限りこの定義で理解しなければならないということだ。その定義はこうだ:

substance: means a chemical element and its compounds in the natural state or obtained by any manufacturing process, including any additive necessary to preserve its stability and any impurity deriving from the process used, but excluding any solvent which may be separated without affecting the stability of the substance or changing its composition;

REACH規則 第3条(1)

JISの次の定義とほぼ完全に一致する。

化学物質(substance)

天然に存在するか,又は任意の製造過程において得られる元素及びその化合物。化学物質の安定性を保つ上で必要な添加物及び用いられる工程に由来する不純物を含有するものも含む。ただし,化学物質の安定性に影響を与えることなく,又はその組成を変化させることなく分離することが可能な溶剤は含まない。
注記 “化学物質”は,“物質”ということもある。

JIS 7253:2019

この物質の定義は、明らかに中学・高校・大学で習ってきた物質の概念(物質の粒子説)とも、その考え方の基礎となる物質の粒子説が生まれた18世紀末期から19世紀より前、紀元前400年ごろからの長い歴史のなかで信じられていたアリストレスに代表される物質の概念(物質はどこまでも細かくできるとする説―しかし、物質が重さと体積を持つという今も一貫して保持されている概念はすでにその時にできている)とも違った異質なものと科学を知る者ほど見えたと言っても過言でない。

REACH登録で物質の定義がすっきりとしていないのには理由がある。最もすっきりしないのは実は混合物について考えるときである(これについては混合物の定義について紹介するこの記事の続編で詳しく論述している)。REACH/CLPの文脈では「多成分からなる混合物でない物質」というものが存在する。

REACH/CLPフレームワークであらわれてくる「多成分からなる混合物でない物質」といわれて奇異に感じない人は科学の基本を知らないか、化学物質規制をよく理解しているかのいずれかの両極である(言葉のロジックの一貫性をおろそかにする人はどうでも良いだろうが)。 REACHの主要な規制要素である「登録 Registration」が求められるのが塩酸やアクリル酸やナフサなどの物質(Substance)であって、自動車や電池のように組み立てたりなどしたものでないし(REACH/CLPにおけるArticle物品とか成形品とかアーティクルと訳されているもの)、洗剤や塗料のような混ぜて作ったもの(混合物 Mixture)でもないという線引きの必要性に由来する。

そこを線引きしなければ、あらゆるもの、たとえば、塗料や洗剤、自動車や電池さえ、登録しなければならなくなる。それは、REACH登録の本旨でない―というより新規物質の事前登録(届出)制度(例えば、日本では化審法および安衛法の新規物質届け出制度、TSCAの新規物質届け出制度、EUのREACHの前身DSD/DPDの新規物質届出制度)の本旨ではない。

REACHの登録対象は、混合物でもなく、物品でもなく、物質である。ただし注意が必要だが、物質のタイプには、単一の成分からなる物質(single consitutite substance)、多成分からなる物質(multi-constitute substance)、UVCB(substance of unknown or variable composition, complex reaction products or biological materials )がある。ただし、登録対象の物質には、混合物中の物質、アーティクル(Article ;物品、成形品と訳される)中の物質(ただし意図的放出のあるもの)が含まれることにも注意が必要だ。

REACH/CLPフレームワークにおける物質と混合物の概念(一般化学フレームワークにおける「物質」「混合物」から派生的に変化しているで注意が必要)

REACH, DSD/DPD, 化審法、TSCAなどの上市前(化学)物質届出(登録)制度の主旨は、新しく化学合成された物質にたいする懸念を事前に対応しようということである。水俣病やカネミ油脂症などのいわゆる公害の経験を経て被害が出てから原因物質を探していては救済すらままならないという問題に対する反省から生まれたといってよい(つまり、新規物質の事前登録(届け出)制度はREACH固有の制度ではなく、REACH以前からあった制度である)。

物質が流通し使用される前に事前登録(届け出)させることよって未然に安全を確保しようとする制度が求めるのは、「(化学)物質」に限定されているのだが、化学物質規制によっては必ずしもそうではないものがある。たとえば、輸送物質・輸送物品の規制である。この規制では、塩酸も自動車もバッテリーも塗料も「輸送危険物」となり、航路や海路等での輸送前に申告等が必要となる。英語ではこの「輸送危険物」を欧州を中心にTransport Dangerous Goods、もしくは、米国を中心にHazardous Materialという。

実際、REACHのインパクトの大きさに気がついた、化学業界でない業種から多数の明らかに優秀な人物が少なからずこの問題に関する論議に送り込まれてきた。そしてそういうHuman resourceの拡大によって煩雑かつ広範なREACH規制への対応業務が担われている。そのこと自身は歓迎される状況ではあるが、その人たちは残念ながら歴史的広がりと空間的広がりでもって理解する余裕がないのだろう、そのために、間違った理解がしばしば見られ、まだ、完全に改善は見らない。これは、どうも日本の内部だけでなさそうである。

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